この場所にはかつて、竜宮から帰った浦嶋子(浦島太郎)は、この場所で玉くしげ(玉手箱)を開け、しわだらけになった己の姿を悲しみ、顔のしわをちぎって投げつけたため、榎の樹皮がしわで凸凹になったと伝える「しわ榎」があった。
しわ榎は高齢化と度々の台風によって幹が空洞化し、大枝も折れて無残な姿になった。そこで地元の網野郷土保存会が中心となり、播種から世話をして、その子孫の木を守り育てている。現在、この場所に植えられている木は3代目。
半島に語り継がれた伝説・伝承