網野神社は、日子坐王、住吉大神、水江浦島子神を祭神とする延喜式内社で、享徳元年(1452)に砂に埋もれそうになり、現在の場所に遷座したと伝えられている。
特に網野の浦島伝承を伝える水江浦島子を祭神としていることは、この地の歴史とあわせて注目すべき点である。
網野神社本殿(国登録 有形文化財)は、一間社流造、金属板葺の建物であり、棟札から建築されたのは、大正11年で、設計は奈良県技師の岸熊吉、大工棟梁は城崎郡竹野村の長岡虎造であることがわかっている。歴史的な様式意匠に精通した岸の手腕が発揮され、蟇股など華麗な彫刻が施されている。
網野神社拝殿(国登録 有形文化財)も大正11年に本殿と同時期に建造されたが、昭和2年(1927)3月7日の北丹後地震により倒壊し、現在の建物は、昭和4年(1929)に岸熊吉設計、大工棟梁、長岡虎造により再興されている。拝殿は正面に唐破風を設け、上部に千鳥破風をつけた入母屋造の堂々とした風格を持つ建物。
蚕織神社(国登録 有形文化財)の建物は、棟札から判断して天明2年(1782)に建てられた建物と推定され、桧皮葺の一間社流造の建物であり、向拝のまわりは龍や邪鬼、唐獅子などの彫刻により、華やかに飾られており見所となっている。
その他、渡廊(昭和4年建造)、神饌所(昭和前期)、透塀(昭和前期)、手水舎(昭和18年)、石鳥居(明治14年)の関連した建造物8棟が、国登録有形文化財として登録されている。