福昌寺山門(府暫定登録 有形文化財)は三間一戸、上層正面の両脇間に円窓をあける。通路上部にかけ渡された虹梁には、派手な動きを見せる絵様彫刻が施され、木鼻、実肘木の渦も溝幅が大きい。
福昌寺本堂(府暫定登録 有形文化財)は通型に属し、六間取り、前面に広縁と土間がつき、後方には位牌堂が突出する。正面中央戸口上部に虹梁、笈形付大瓶束の架構をみせ、大瓶束からは獅子が半身をあらわし、笈形は牡丹と流れる雲、虹梁の木鼻は菊の花と葉で像鼻をつくり出して、外観の装飾性がこの部分に集中する。
大工棟梁はいずれも間人の中江弥三郎。中江弥三郎は、江戸時代後期に活躍した大工で、特に細かい部分の装飾性に優れており、市内では他にも国原神社本殿などを手掛けている。
境内にある十三仏石塔(逆修塔) (市指定 有形文化財)は、安山岩製で塔上部に梵字で死後の法要を表す十三の仏を、下部に享禄4年(1531)七月十九日の銘と六人の名が記されている。
高さ2メートルという、この種のものとしては稀にみる大きさである。戦国時代という乱世には、死後の法要を生存中に行えばその功徳がすべて自分のものになるという「逆修」(ぎょくしゅう)と呼ばれる風習が盛んに行われ、これもそうした民間伝承の優れた遺品の一つである。