如意寺

如意寺は丹後国熊野郡に所在し、行基建立の寺伝をもつ真言宗の古寺である。
扁額は、ヒノキ材製、中央で縦二材矧で、長方形の一重枠で囲まれた内区中央に「如意寺」の寺号を鋤彫りする。表面及び側面には漆塗りとした痕跡が残り、裏面には「永仁三年乙八月廿二日亥乙「正四位行左馬頭藤原朝臣定成」」(西暦1295年)と墨書する。筆者の藤原定成(1278~1312)は世尊寺流第9世経朝の子で行房の叔父にあたる。嫡流ではないが能書として知られ、兄経尹とともに当代きっての名手として重んじられていた。定成の書は後世になっても尊重された。
しかし、真跡とされているものは少なく、これまで東京国立博物館蔵の平行成願文と自著を加えた書状一通がしられているにすぎなかった。この扁額の書体は経朝の筆になる建治元年(1275)銘の谷保天満宮(国立市谷保)の木造扁額(国指定 重要文化財)と近似しており、これも世尊寺流の扁額の書体として注目される。本扁額は保存状態もよく、鎌倉時代に遡る典型的な世尊寺流の書体の扁額として貴重である。縦65.4センチメートル 横40.0センチメートル

木造阿弥陀如来坐像(市指定 有形文化財)は、螺髪を付け、肉髻珠、白毫をあらわし、偏袒右肩に納衣を著け、定印を結んで結伽趺坐する通形の阿弥陀如来坐像であり、如意寺持仏堂の本尊として祀られる。平安時代後期には末法思想の隆盛とともに、このような阿弥陀像が数多くつくられたが、本像もその一例に挙げることができる。頭体の躯幹部を一材で彫成したあと前後に割放す一木割矧造の技法になり、これに両肩先、膝前に各一材を寄せている。造形は定朝様の典型で、比例の整った体躯、優美に整えられた衣文などに特色がある。鎌倉時代。

銅造閼伽桶および灑水器(市指定 有形文化財)は、仏に供える水を汲む仏具(閼伽桶)と清めのために散らしそそぐ香水を入れる器(灑水器)で、一具で作られたものと考えられる。閼伽桶は、桶部には鍋づる形の把手が取り付いており、一部に補修された痕が残っている。
灑水器(しゃすいき)は、通常は椀・皿・蓋の三部分で構成されているが、現状では皿部が失われており、高台がついている椀部と宝珠形のつまみがつく蓋部だけが残っている。
市内では数少ない中世の仏具であり、室町時代の如意寺を考える上で貴重な資料といえる。

この他、木造金剛力士像(市指定 有形文化財)、銅造鰐口(市指定 有形文化財)がある。
 

ストーリー
<花開いた仏教文化>
指定区分
市指定有形文化財
住所
久美浜町西本町

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