平安時代、百人一首で知られ、六歌仙の一人で絶世の美女と言われた小野小町が老いて丹波路を旅する途上、五十河の住人上田甚兵衛と道連れになり、甚兵衛方で旅の疲れを癒した。
再び旅立つも長尾坂で急な病になり、甚兵衛は小町を背負って家に帰り、看病を尽くすも薬石効なく「九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる」の句を残してこの地で世を去ったと伝えている。
以後、長尾坂は小野負坂(小野坂)と呼ばれている。
法名を妙性といい、小野山妙性寺は古町を開基として建立され、今でも妙性寺には由来を記した縁起、位牌が寺宝として伝わっている。