絹屋佐平治(後に改名し森田治郎兵衛)は、京都西陣の機屋へ奉公し、享保5年(1720)京都西陣から撚糸技術を持ち帰った丹後ちりめん創始者のひとり。佐平治はその功績により峰山藩から「森田治郎兵衛」の名を与えられた。佐平治の住んでいた上中町(当時は中町)は明治2年(1869)に町名を「織元」と改められ、崇敬者により「丹後ちりめん始祖森田治郎兵衛翁発祥の地」の石碑が建てられた。
「丹後ちりめん」をめぐる人と技