発信貴山(はしきさん)縁城寺は、霊亀三年(717年、一説に養老元年)にインドの密教僧善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)がこの地を訪れ、梵天帝釈天の化身と称す童子から授けられた観音像を安置したのが始まりで、その後弘法大師によって再興され、永延二年(988)に一条天皇の勅願所となって堂塔が建立されたと伝えられる。
本尊木造千手観音菩薩立像(国指定 重要文化財)は、像高152.4センチメートル、一木造りになる。伏目がちで眼尻の上がった目や、厚い唇のつくりだす表情には平安前期の作風を残しながら、製作は十世紀後半だと推定される。
本堂の前には、縁城寺宝篋印塔(国指定 重要文化財)が立つ。総高340センチメートルで下方に切石積の大基壇を有し、さらにその上に蛤座、框座、格狭間・反花座つきの框座という三段の基壇をのせている大規模なものである。塔身に刻まれた四方仏の種字を安ずる月輪の下に蓮華座を設けたり、相輪の請花や宝珠の形に工芸的な繊細さが感じられる。
現在では磨滅して殆ど判読できないが、「正平六年」の年記と「佛子行秀」の名が刻まれ、正平六年(1352)の造立と推定される。
この他、縁城寺には、金銅装笈 附 金銅装笈残闕1個(府指定 有形文化財)、縁城寺本堂、縁城寺多宝塔、縁城寺鐘楼、縁城寺庫裏門、縁城寺総門、絹本著色十王図 五官大王像、絹本著色十王図 宋帝大王像、縁城寺縁起(いずれも府暫定登録 有形文化財)、絹本著色倶生神像 、絹本著色如意輪観音像 (いずれも府暫定登録 有形文化財/市指定 有形文化財)絹本著色十王図 、手錫杖、 鋳銅五具足(いずれも市指定 有形文化財)をはじめとした多くの文化財が伝えられている。