太田鼻横穴群跡

京都府内で最大級の横穴群である太田鼻横穴群が存在したこの地にはかつて、東から西に張り出す丘陵が存在しており、その傾斜の急な南側斜面に30基の横穴が確認された。
横穴軍は、水田との比高差約2〜7.5メートルの高さに花崗岩風化土をくり抜いて築造されていた。

各横穴の平面形は、長方形と袋状の2種類があり、その規模は、玄門幅1メートル前後、玄室の幅・長さはともに1.5メートル〜3メートルが主で、4メートルを超えるものも3基確認されている。
玄室全面には墓道がとりつき、玄室と墓道の境には段がつき、仕切り溝があるものもあった。玄門部の閉塞は板戸を立てていたと思われる。

横穴の築造は6世紀末から8世紀中頃にかけて行われたと推測され、出土遺物としては、須恵器、土師器、鉄刀などが見つかっている。

指定区分
未指定
住所
大宮町周枳