浜詰遺跡

浜詰遺跡(市指定 史跡)は、木津川河口部の砂丘上に営まれた日本海を望む縄文時代の集落跡。
遺跡は昭和32年(1957)に網野町立橘中学校の生徒によって発見され、数次にわたる発掘調査の結果、竪穴住居跡2棟や貝塚が複数発見された。
京都府内で縄文貝塚の確実な遺跡は、この浜詰遺跡だけである。

竪穴住居は発掘調査によって縄文時代後期に建てられたことがわかっており、住居の平面は方形で8.3メートル×6.8メートル。柱跡は4本が2列に並び、中央付近に石で作られた炉の跡が見つかっている。
遺跡からは煮炊きなどに使う土器のほか、石鏃、石錘、磨製石斧などの石器だけではなく、遺跡に暮らした人々が貯めた魚や動物の骨、貝なども出土している。

現在の復元竪穴住居は、建て替えられているが、昭和34年(1959)にはじめて建てられた。住居を復元して遺跡を保存することは珍しく、全国に先駆けたものであった。

 

ストーリー
<半島に展開する海・里・山の生業><日本海の玄関口での交流・交易><半島と共に生きる食の知恵>
指定区分
市指定史跡
住所
網野町浜詰
駐車場
なし

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